1)縄文海進

■熊本市内はもと海だった(縄文海進=今から2-3m高かった)というのが、地名として証拠が残っています。

私の母校、池上小学校周辺では、谷尾崎というところまで、今でも満潮で井芹川の水が上がってきます。干潮になると水が引きますが、私の想像ですが、若干池上より下流域で高いところがあったので、池上周辺が池になったと想定されます。

その池を埋め立てたのが、浄土真宗の僧侶、月感上人でした。加藤清正の許可を受けて、埋め立てたようで、そのお陰で、新村という村もでき、周辺は農村となりました。

月感上人の石碑月感上人の石碑(新村入口)

今では、農村の面影も薄く、高規格道路の池上インターチェンジとなっています。

その池には、大蛇が住んでいたので、大蛇伝説が残っています。近くのお寺では9月10日前後に、独鈷(仏具の一種)や鱗などが毎年開示されます。

独鈷独鈷
龍の鱗龍の鱗

池上小学校の壁に龍の絵が掲げられております。

脱線してしまいましたが、昔は海だったということです。だから、海と山の間に、貝塚や古墳ができたというわけです。赤◯が古墳(1つは白坪小学校)、黄◯が貝塚の分布です。

2)海だったという証拠なる地名

縄文海進縄文海進

■上を見てわかるように、中島、小島、鮟鱇、走潟、鯨油、海路口等々、海や水に関する地名がたくさんありますよね。

地名には、歴史を刻む土地の様子を表したものが多いのです。

3)八代や玉名は干拓だった!

■熊本市内のみならず、八代平野や玉名平野は、昔は海で、江戸時代の新田開発によって、陸地化した土地なのです。

今のように、地名にあたっていくと、それが裏付けられるかと思います。

八代平野は、JR在来線(新幹線ではありません)が縄文時代の海岸線と言われていて、国道3号線沿いには、古墳が散らばっています。

八代の場合は、地名からできた年代までわかります。例えば、文政ですね。文政年間に干拓されています。

4)地震・津波に要注意

■4月28日に令和8年熊本地震がありました。熊本地震(2016年)からちょうど10年目でした。

今回は日奈久断層近くに震源地があり(前回は布田川断層)、今後、この日奈久断層の海沿いの断層に変化がなかったので、割れ残っていると言われています。

仮に、海が震源地の場合は、津波の恐れがあるわけです。これまで見てきたように、縄文海進でほぼ海でした。

ということは、津波には相当気をつけておかないといけないということになりますね。